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東京高等裁判所 昭和49年(う)1309号 判決

被告人 林宗宏

主文

原判決中有罪部分の全部および無罪部分のうち昭和四五年五月二一日付起訴状記載(三)の公訴事実に関する部分をそれぞれ破棄する。

被告人を罰金二五万円に処する。

右罰金を完納できないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

押収してある「トルーラブ」と題する書籍(第二刷版)一冊(当裁判所昭和四九年押第三八五号の三)および「壇の浦夜合戦記」と題する書籍一冊(同押号の四)を没収する。

原審における訴訟費用のうち、証人嶋澄、同青木滋に支給した分は、いずれもその二分の一を被告人の負担とする。

検察官のその余の無罪部分に対する本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、検察官控訴につき東京地方検察庁検察官検事伊藤栄樹作成名義の控訴趣意書、被告人控訴につき被告人、弁護人青木英五郎、同倉田哲治連名提出の控訴趣意書にそれぞれ記載されたとおりであり、検察官の控訴趣意に対する弁護人の答弁は、右弁護人両名連名提出の答弁書に記載されたとおりであるからここにこれらを引用する。

第一、検察官の控訴趣意について。

所論は要するに、本件において被告人らが販売した「壇の浦夜合戦記・附大東閨語」と題する文書および「原色版浮世絵かーど」と題する文書はいずれも刑法一七五条所定のわいせつ文書であることが明らかであるのに、原判決がこれらをいずれもわいせつ文書にあたらないと判断したのは同条項の解釈適用を誤ったもので、判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

よって検討するのに、刑法一七五条のわいせつ文書とは、その内容が徒らに性欲を興奮刺戟せしめ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する文書を指称し、その判断は一般社会において行われている良識すなわち社会通念に従ってなされなければならないこと、判断の方法は当該作品じたいにより客観的に判断すべく、作者の主観的意図等によって影響されるものではないこと、文書中の個々の章句の部分のわいせつ性の有無は文書全体との関連において理解しなければならないことはすでに最高裁判所累次の判例(昭和三二年三月一三日大法廷判決・刑集一一巻三号九九七頁、同四四年一〇月一五日大法廷判決・刑集二三巻一〇号一二三九頁、同四八年四月一二日第一小法廷判決・刑集二七巻三号三五一頁等)の示すとおりであり、近時の社会情勢における性意識の変容等を考慮しても右の基準に根本的な変更を要するとまでは考えられないから当該裁判所も右最高裁判所の判例に従うのを相当と解する。

原判決も刑法一七五条のわいせつ文書の意義および判断基準・方法については概ね右最高裁判所の判例にしたがっているのであるが、本件「壇の浦夜合戦記・附大東閨語」および「原色版浮世絵かーど」なる各文書はいずれも刑法により「わいせつ文書」として処罰の対象とする程度に性欲を徒らに刺戟又は興奮せしめるものとは断じ難いものと判断している。

当裁判所は右最高裁判所判例に示された解釈基準に従って本件右各文書を観るときは、右「原色版浮世絵かーど」をわいせつ文書にあたらないとした原判決の法律判断は正当であるとして是認できるが、右「壇の浦夜合戦記・附大東閨語」に関する原判決の法律判断には誤りがあるものと判断するので、以下項を分けて説明する。

一、壇の浦夜合戦記・附大東閨語について。

右文書は「壇の浦夜合戦記」と「続壇の浦夜合戦記(大東閨語)」とに分れており、前者は源義経と建礼門院徳子との情交場面を、後者は和泉式部、小督の局、巴御前等歴史上の人物にまつわる艶話をそれぞれ記述したいわゆる和漢混淆文と段落ごとにこれに対する現代口語による解説文とによって構成されているところ、原判決がこれらのわいせつ性を否定した理由をみると、原判決は、その和漢混淆文(とくに前者)が男女間の性交及びこれに密接する性戯等の情景を具体的かつ露骨に描写した部分を含んでおり、これを解読しうる者にとって、「徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」ものともいい得るとしながら、(一)右の和漢混淆文が難解で、普通人が描写されている情景を連想しながら気楽に解読しえないこと、(二)かりに解読が可能であったとしても登場人物、歴史的背景、文章の流麗さ等から幻影的抒情詩の趣きがあり、読者をしてあたかも公然と性行為が展開されている状況を彷彿たらしめるほどのものでないこと、(三)また右の解説文は和漢混淆文の必ずしも全訳ではなく、語句の口語訳及び解説に重点を置く生硬なものであり、性欲を刺戟興奮させるほどのものではないこと、(四)「続壇の浦夜合戦記(大東閨語)」の描写は、「壇の浦夜合戦記」と比較して和漢混淆文の箇所も解説文の箇所も、性的行為の描写において右以上に読者の性欲を刺戟興奮させるものではないこと、等の理由により、全体として読む者の性欲を徒らに刺戟又は興奮せしめる文書ではないとしている。

しかしながら、右の現代口語による解説文は、右の和漢混淆文のうちとくに男女間の性的行為ないし情景の具体的かつ詳細な描写を必要に応じあるいは本文に忠実かつ露骨に口語訳し、あるいは本文の趣旨とするところを口語体で意訳し、ときには性交の体位、性器の性状ないし機能等の解説をも加えて読者の本文の解読ないし理解に資するよう配慮されており、原判決の説くように単なる和漢混淆文中の語句の口語訳および解説たるに止まるものではなく、従って右文書のわいせつ性の判断にあたっては右解説文は本文たる和漢混淆文と一体をなすものとして考察すべきものであるのに、原判決が右和漢混淆文と解説文とを一体のものとして考察しなかったことは判断の方法を誤まったものといわなければならない。ところで右文書の内容が男女間の性交及びこれに密接する性戯等の情景を具体的かつ露骨に描写、記述したものであることは原判決もほぼ認めるところ、その和漢混淆文は一見難解のように見えるものの、その漢字にはすべて読み仮名が付してあり、前記解説文がその読解を助けており、右本文と解説文を併せ読むことによって通常人においても充分解読しうるものであるといわなければならない。かりに右の和漢混淆文がその表現の簡潔さないし特殊性の故に一般通常人にとって若干難解な面があり、読者層が限定されるとしても、その読者たりうるものの普通人、平均人を基準としてそのわいせつ性を判断すべきであることは最高裁判所第三小法廷昭和四五年四月七日判決(刑集二四巻四号一〇五頁)の説示するとおりであり、しかも我国の教育の普及程度に照らし、右解説文と相まって右の和漢混淆文の解読に支障を来たさない読者が多数あることは明らかであるから、原判決が現代の国語教育の水準よりして右の和漢混淆文の解読が必ずしも困難を極めるとはいえないとしながら、なお一般通常人にとって解読が困難であると判断したのは判断の基準を誤つたものといわなければならない。また、右各文書はその登場人物を歴史上の著名な人物の名をかりてはいるものの、その内容はもっぱら男女間の性交及びこれに密接する性戯等の情景を露骨かつ詳細に描写するに終始しており、読者の好色的興味をそそるもので、原判決が判示するような歴史絵巻の裏にひそむ時代の英雄と一世の美姫との間に繰り展げられた幻影的な抒情詩というが如きものではないのであるから、原判決がこの点を理由に読者の性欲を刺戟興奮させる度合が少ないものと判断したのは誤りであるといわなければならない。また、右「続壇の浦夜合戦記(大東閨語)」なる部分も本文たる和漢混淆文と解説文とを併せ読むことにより通常人においても内容を解読しうるものであり、しかもその内容は、そのほとんどが男女性交の場面、姦通ないし近親相姦の場面などを性器の形状、性戯の情景などを混じえて描写されており、その表現の方法は簡潔な文体ではあるが、具体的かつ露骨な表現がとられているのであって、右「壇の浦夜合戦記」のそれに比して殆ど径庭がないというべきであるから、原判決がこれを読者の性欲を刺戟興奮させるに足りないと判断したことは誤りであるといわなければならない。

以上を要するに、本件「壇の浦夜合戦記・附大東閨語」なる文書は読者たる通常人の性欲を徒らに刺戟興奮させ、かつ正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する内容を有するものであるから全体としてわいせつ文書と認められるから、原判決の法律判断には誤りがあるものといわねばならない。この点の論旨は理由がある。

二、原色版浮世絵かーどについて。

右文書は、原判示のとおり、表面に男女の性交ないしこれに密接する性戯及びこれらを連想させる男女交歓の場面を描写する原色の浮世絵とその解説文が印刷され、裏面に人形等による性交の体位の図解及び解説文が印刷されている四八枚のカードから構成されているところ、原判決がそのわいせつ性を否定した理由は、(一)カード表面の浮世絵部分においては男女の性器及びその周辺が印刷によって比較的広範囲に亘り抹消されていること、(二)付記された解説文が短文で具体的かつ露骨な性行為の描写とはいえないものであること、(三)裏面の性交体位の図解及び解説文も市販のハウ・ツー・セックス物等に比して内容及び表現の仕方にさしたる相違がないこと等からして全体として読者の性欲を徒らに刺戟又は興奮せしめるものとまでは断じがたいというのである。

これに対し、検察官は、カード表面の浮世絵部分は性器およびその周辺が抹消されていることにより、かえって男女の相関的なからみ合いの場面で、それが男女の性交またはそれと密着した前後の姿態であること又は性戯中であることを容易に看取しうるような場面となっていることから右抹消部分の存在は右浮世絵そのもののわいせつ性を否定する理由にはなりえないとし、浮世絵部分の下欄に記載されている解説文および裏面の性交体位・解説文は、いずれも右浮世絵部分と一体をなしているものであるから、原判決がこれらを浮世絵部分と別個のものとして扱ったうえ、全体としてのわいせつ性を否定したのは誤りであると主張する。

なるほど、男女性交の場面等を描写した絵画等において、その性器部分ないしその周辺を抹消したからといって直ちにその絵画等のわいせつ性が否定されるべきものでないことは所論のとおりであるが、反面、男女性交の場面等を描写したことが看取されるからといって直ちにその絵画等が刑法一七五条所定のわいせつ文書にあたるものということもできないのであり、要は、当該絵画等の描写の方法が、あたかも目前に公然と性行為が展開されている状況を彷彿させることにより人の性欲を徒らに興奮ないし刺戟するものでない限り同条項所定のわいせつ文書とはいえないのである。また、男女性交の場面等を描写した絵画等の性器部分ないしその周辺を抹消しても、なお残存部分により男女性交の場面等であることが明らかに認識することができ、しかもその残存部分の描写の方法からして抹消部分の存在にも拘らず、その絵画等が人の性欲を徒らに刺戟興奮させる場合があることは所論のとおりであるとしても、それだからといって、当該絵画等の性器部分又はその周辺部分が抹消されていることが、一般的に言って、かえって当該絵画の男女性交の場面等を強調するものであるとか、容易に連想させるものであるとかいうことはできない。また、本件浮世絵カード表面の解説文および裏面の性交体位の図解・解説文が右浮世絵部分と不可分の一体をなすものであり、本件浮世絵かーどの全体としてのわいせつ性判断の対象となるべきものであることは所論のとおりであるが、原判決が右の解説文等の部分を前記浮世絵部分と全く別個の文書と認めているわけでないことは原判示じたいから明らかである。そして、本件浮世絵かーど表面の浮世絵が伝統的な浮世絵の形式を踏むものであり、そこに描かれた男女性交の場面等が性器部分ないしその周辺部分の抹消にも拘らず認識しうるものではあるが、なお通常の現代絵画、写真、映画等に比して現実感において相違があること、比較的抹消部分が広いため人の官能に対する刺戟度合が少ないものであることが明らかであり、また浮世絵の下欄に記載された解説文も当該浮世絵そのものの解説というほどの直接の関連性に乏しいものであり、かーど裏面の図解および解説文にしてもその内容からして当該絵との直接の関連性はなく、従ってそれぞれの内容が相互に補強し合うような関係に立つものではないうえ、それぞれの表現方法が人の性欲を徒らに刺戟ないし興奮させるに足るものではないこと等にもかんがみると、原判決が本件浮世絵かーどを全体としてわいせつ文書にあたらないと判断したことは正当であると認められる。所論引用の東京高等裁判所の各判例は本件と事案を異にするものでいずれも適切でない。この点の論旨は理由がない。

第二、被告人、弁護人らの控訴趣意について。

論旨は、いずれも被告人の発行し販売した「ガミアニ」および「トルーラブ」はいずれもその内容が徒らに性欲を刺戟又は興奮せしめるものではなく、また善良な性的道義観念に反するものでもないからわいせつ文書にあたらないのに原判決がこれらを刑法一七五条所定のわいせつ文書に該当するものと認めたのは同条の解釈適用を誤ったもので判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

よって検討するのに、本件の「ガミアニ」および「トルーラブ」と題する各文書は、原判決が(弁護人の主張に対する判断)の項の三、(一)(二)において詳細に説示するとおりであり、「ガミアニ」については、その全般に亘り、男女間の性交、女性同志の性的行為および獣姦の場面ならびにこれらに接着した性戯の情景が行為者の姿態、会話、音声、感覚の表現等を混じえながら詳細かつ露骨に描写され、かつそれが強調されており、又「トルーラブ」については、その全般に亘り、男女間の性交ないしそれに接着する性戯の情景が行為者の姿態、表情、会話、音声、行為者の感覚の表現および性器の形状等を混じえながら詳細かつ露骨に描写され、かつそれが強調されており、いずれもこれを読む者をして、あたかも公然と性行為が展開されている状況を彷彿たらしめるに足りるから、これら性行為等の記述部分が徒らに人の性欲を興奮刺戟せしめ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものであり、しかもかような記述が右各文書の大部分を占めているのであるからこれらが全体として刑法一七五条所定のわいせつ文書にあたることは明らかである。

なお、所論は刑法一七五条所定のわいせつ文書の概念があいまいであり、判断基準が明確を欠く旨主張するが、わいせつ文書の概念およびわいせつ性の判断基準はさきに示したとおりと解され、明確を欠くものとはいえない。また、所論は、わいせつの概念の論理的前提となる性行為非公然の原則なるものを認めるとしても公然たる性行為そのものと文書による表現とではおのづから差異があるものであり、公然たる性行為が可罰的であるからといって、本件のように文書によるその表現まで可罰性を有するものとはいえない旨主張する。しかし、わいせつ文書の販売等が可罰的であるのは、これらが社会の健全な道徳的秩序を退廃に陥れるおそれがあるからにほかならないから、性行為非公然の原則は単に現実の性行為における原則たるにとどまらず文書による性行為の表現についても適用されるのが当然である。しかも文書による性行為等の表現は、表現方法によっては現実の性行為が公然と行われた場合と同様ないしそれ以上の心理的影響を見聞する者に与えることがあり、また文書としての性質上公然たる性行為よりも広範囲に認識されうるものであることにかんがみれば、文書による性行為の表現は現実の性行為に比して社会の健全な道徳的秩序に対する侵害の度合が必ずしも低いともいえないのである。また、所論はわいせつ文書が青少年に対して有害であるということはなんら実証されていない空論に過ぎないからわいせつ文書取締の根拠たりえない旨主張する。しかし、わいせつ文書の販売等の行為が処罰されるのは、これらを見聞する者の好色心をそそることによって、その正常な性的羞恥心を害し、ひいては社会の健全な道徳的秩序を退廃に陥れる危険があるからにほかならないのであり、必ずしも所論のように青少年に対する影響のみを考慮したものではないが、人格形成の途上にある青少年は一般成人に比してかかる文書の影響を受け易いものであることは公知の事実であること、ある文書による社会の道徳秩序への影響ということが現段階において科学的方法をもって判定されるまでに至っていないことにもかんがみれば原判決がわいせつ文書取締の一根拠として青少年に対する影響を云々したからといってあながち不当であるということはできない。

以上を要するに、本件「ガミアニ」および「トルーラブ」と題する各文書をわいせつ文書であると判断した原判決には所論のような法令の解釈適用上の誤りはなく、論旨は理由がない。

第三結論

以上の次第で原判決の無罪部分のうち本件公訴事実(三)の前記「壇の浦夜合戦記・附大東閨語」の販売部分に対する検察官の控訴は理由があり、原判決中のその余の部分に対する検察官の控訴ならびに有罪部分に対する被告人の控訴は理由がないが、右の無罪部分を破棄してこれを有罪とすることにより、原判決中の有罪部分と刑法四五条前段の併合罪として処理するのが相当であるから、刑訴法三九七条一項、三八〇条により右有罪部分をも併せて破棄することとし、本件においては、前記公訴事実(三)の事実のうち「壇の浦夜合戦記・附大東閨語」なる書籍が刑法一七五条にいうわいせつ文書に該るか否かの点を除くその余の事実は原判決によって確定されており、当審においては右の法律判断だけでこれを有罪となしうる場合であるから、刑訴法四〇〇条但書により訴訟記録および原審の取り調べた証拠によって直ちに判決することができるものと認め、次のとおり判決する。

なお原判決の無罪部分のうちその余の部分に対する検察官の本件控訴は理由がないので刑訴法三九六条によりこれを棄却する。

(罪となるべき事実)

原判決の(罪となるべき事実)は全部ここに引用したうえ、第三、として次の事実を加える。

第三、被告人は(安瀬忠雄及び桑原勝利と共謀のうえ)、昭和四三年一二月一日ころから翌四四年一月一五日ころまでの間、「壇の浦夜合戦記・附大東閨語」と題する単行本で、男女の性愛、性戯の場面あるいは男女性交の場面などを露骨かつ詳細に描写、記述したわいせつ文書約二〇、〇七〇部を印刷し、昭和四三年一二月五日ころから翌四四年二月一二日ころまでの間前記東京出版販売株式会社等を通じ、あるいは直接店頭販売の方法により合計一九、八七九部を代金八、一〇五、八二八円で販売した。

(証拠の標目)(略)

(原審弁護人の主張に対する判断)

原審弁護人らの主張のうち、(一)刑法一七五条が憲法三一条に違反する旨の主張、(二)刑法一七五条が憲法二一条に違反する疑いがあり、被告人を刑法一七五条により処罰することが憲法二一条に違反する旨の主張、(三)刑法一七五条を適用することが憲法一四条に違反する旨の主張に対する当裁判所の判断は原判決(弁護人らの主張に対する判断)の項四、ないし六、に記載されたところと同一であるからここにこれを引用する。

(法令の適用)

被告人の原判示第一、第二、および当審判示第三の各所為は、いずれも行為時においては刑法一七五条前段、六〇条、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号に、裁判時においては刑法一七五条前段、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、犯罪後の法律により刑の変更があったときにあたるから刑法六条、一〇条により軽い行為時法に従い、所定刑中いずれも罰金刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから同法四八条二項により各罪所定の罰金額を合算した額の範囲内で被告人を罰金二五万円に処し、同法一八条により右の罰金を完納することができないときは金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、押収してある「トルーラブ」と題する書籍(第二刷版)一冊(当裁判所昭和四九年押第三八五号の三)は原判示第二の犯罪行為を組成したもの、「壇の浦夜合戦記」と題する書籍一冊(同押号の四)は判示第三の犯行を組成したものでいずれも被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項一号、二号、同条二項によりいずれもこれを没収し、原審における訴訟費用のうち証人嶋澄、同青木滋に支給した分はいずれもその二分の一を被告人に負担させる。

よって主文のとおり判決する。

(裁判官 田原義衛 吉澤潤三 小泉祐康)

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